障がい者がいなくなった社会は・・・

相模原事件の容疑者は「世界平和のために障がい者を抹殺する」と言う内容を話している。この考えは優生思想であり、多くの人々が彼のその考えに対して違和感を持っている。しかし、一部ネットでは彼を称賛する声も残念ながらある。

今回は自分なりに「障がい者がいなくなった社会」を想像してみる。はっきり言うと、彼の言う通りの世界変わどころか、ますます社会は競争社会になり、社会的機能はしないだろうと思う。

障がい者がいるから今の社会秩序が保たれているとは言いたくはないし、そういう考えはおかしいかもそれない。でも聖書にはこんなことが書かれている。

新約聖書・ローマ人への手紙15章12節

1わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。2おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。


神様はこの世に強者と弱者を作り、強者はその権力を振るうのではなく弱者と相互に支え合いなさいとある。

今分かりやすく強者を健常者、弱者を障がい者としたが、健常者の中にも当然強者と弱者がいる。

もし強者だけの世界だけだったらどうだろうか。おそらく優しさも思いやりも生まれなかっただろう。だって何でもできる人たちの社会の中で優しくする必要ある?むしろ競争するだろう。

繰り返しになるが、社会秩序を守るため障がい者が必要とはおかしいと思うし、そのために障がい者がいるのではない。ただ強者と弱者の両者が支え合って、バランスは初めてとれるのではないかと思い、今回書いた。


この記事に関して賛否両論あるかと思いますが、書かせていただきました。